このサイトは、市川喜一の著作のみを販売しております。
ご注文前に...
発送はご購入、ご入金完了から2日~4日を目安としています。
土日の発送は基本的に行なっておりません。
指定日配送は対応しておりません。予めご了承くださいませ。
お客様都合による返品・返金はお受けできません。
急ぎの発送の相談、本の在庫確認などは、
お問い合わせフォームからお気軽にお問い合わせください。
送料について...
全国一律料金:200円
商品代金3,000円以上(税込)で送料無料にさせていただきます。
-
聖書百話
¥1,800
A5サイズ 226ページ 2002年4月1日発行 本書「聖書百話」は、聖書の中の一句を主題とした短い所感文一〇〇編を集めたものです。聖書解釈の論文ではなく、筆者が聖書に導かれて歩んできた生涯で、折々の出来事や様々な状況の中で、聖書の一言葉に依り縋るようにして、祈り、また感じたことを短い文に書きとどめたものです。 したがって体系的なものではなく、気の向くままにどこを開いて読んでいただいてもよいものです。読者が、病床や失意のときなど、生きることに重荷を感じたり行き詰まったりしたときに、慰めになり、励ましとなることを願って、お手元にお届けるするものです。 このような性格の所感文として、本書は聖書の一句という小窓を通して見た人生の光景という内容になっています。ときには、少数ながら社会や世界の大きな出来事についての所感もありますので、聖書の小窓から見た歴史の風景という面もあります。 本書は、筆者の個人福音誌「天旅」の巻頭言を、一九八六年の創刊号から二〇〇二年一号まで、ほぼ年代順に配列してあります。個人的な内容のものや長すぎるものなど数編を省略していますが、代わりに福音誌「アレーテイア」に発表した短文五編を入れて一〇〇編にしています。掲載の号数は、それぞれの文章の末尾に記してあります。(本書まえがきより)
-
マルコ福音書講解Ⅰ
¥2,700
A5サイズ 438ページ 2002年10月1日発行 キリストの福音を証言する新約聖書は、四つの福音書とパウロ書簡を中心とする使徒書簡という二本の柱で構成されています。その一方の柱である福音書の中では「マルコ福音書」が最初に書かれた福音書であり、他の二つの大きな福音書、すなわち「マタイ福音書」と「ルカ福音書」がこの「マルコ福音書」を枠組みとして用いていることからも、基礎的な福音書と言うことができます。本書はこの「マルコ福音書」の全体を段落ごとに講解して、この基礎的な福音書が世界に伝える「イエス・キリストの福音」を聴き取ろうとする試みです。 「マルコ福音書講解」は「マルコ福音書」の内容に従って、次の三部から構成されています。 第一部 ガリラヤでの宣教 マルコ福音書 1章~5章 第二部 エルサレムへの旅 マルコ福音書 6章~10章 第三部 エルサレムでの受難 マルコ福音書 11章~16章 本書「マルコ福音書講解 I」は、この中の第一部と第二部を取り扱っています。第三部と全体をまとめる終章は、続いて刊行される「マルコ福音書講解 II」で取り扱われます。 本書は、マルコ福音書の学術的な注解を志すものではなく、マルコ福音書を通して著者が聴き取り理解したかぎりのイエス・キリストの福音を告白し、世に提示しようとするものです。しかし同時に、この福音書をそれが成立した歴史的状況の中で理解するために、現在までの学術的な成果をできるだけ吸収消化して、その霊的内容の理解が独善に陥らないように努めました。現在、イエスの働きや言葉を語り伝える伝承の歴史(伝承史)と、それが福音書という形に書きとどめられるさいの神学的な立場の表現についての研究(編集史)は精緻をきわめていますが、その成果を念頭に置きながら、それには立ち入ることをせず、もっぱら原形のテキストが現在のわたしたちに語りかける霊的使信に耳を傾けたいと願っています。 (本書まえがきより)
-
マルコ福音書講解Ⅱ
¥2,500
A5サイズ 374ページ 2002年12月1日発行 キリストの福音を証言する新約聖書は、四つの福音書とパウロ書簡を中心とする使徒書簡という二本の柱で構成されています。その一方の柱である福音書の中では「マルコ福音書」が最初に書かれた福音書であり、他の二つの大きな福音書、すなわち「マタイ福音書」と「ルカ福音書」がこの「マルコ福音書」を枠組みとして用いていることからも、基礎的な福音書と言うことができます。本書はこの「マルコ福音書」の全体を段落ごとに講解して、この基礎的な福音書が世界に伝える「イエス・キリストの福音」を聴き取ろうとする試みです。 「マルコ福音書講解」は「マルコ福音書」の内容に従って、次の三部から構成されています。 第一部 ガリラヤでの宣教 マルコ福音書 1章~5章 第二部 エルサレムへの旅 マルコ福音書 6章~10章 第三部 エルサレムでの受難 マルコ福音書 11章~16章 第一部と第二部は先に刊行された「マルコ福音書講解Ⅰ」で扱いました。本書「マルコ福音書講解 Ⅱ」は、この中の第三部と全体をまとめる終章を取り扱っています。 本書は、マルコ福音書の学術的な注解を志すものではなく、マルコ福音書を通して著者が聴き取り理解したかぎりのイエス・キリストの福音を告白し、世に提示しようとするものです。しかし同時に、この福音書をそれが成立した歴史的状況の中で理解するために、現在までの学術的な成果をできるだけ吸収消化して、その霊的内容の理解が独善に陥らないように努めました。現在、イエスの働きや言葉を語り伝える伝承の歴史(伝承史)と、それが福音書という形に書きとどめられるさいの神学的な立場の表現についての研究(編集史)は精緻をきわめていますが、その成果を念頭に置きながら、それには立ち入ることをせず、もっぱら原形のテキストが現在のわたしたちに語りかける霊的使信に耳を傾けたいと願っています。 (本書まえがきより)
-
パウロによるキリストの福音 Ⅰ
¥3,000
A5サイズ 388ページ 2004年8月1日発行 新約聖書は、四つの福音書と使徒言行録という一群と、使徒書簡というもう一つの群との二つの文書群を柱として成り立っています。そして、使徒書簡の中ではパウロ書簡が質量ともに圧倒的な位置を占めています。ということは、パウロが宣べ伝えたキリストの福音が、福音書という形式の福音告知と並んで、新約聖書の福音の基本をなしているということです。それで本シリーズ(「パウロによるキリストの福音」および「パウロによる福音書」合わせて五巻になる予定)で、パウロ書簡の探求を通して、使徒パウロがわれわれに告げ知らせている「キリストの福音」とはどのような内容のものであるのかを追求していこうと願っています。その際、現在研究者の間で問題なく真正のパウロ書簡とされているローマ書までの七書簡を用います。ローマ書以後の、いわゆる「パウロの名による書簡」については、別の機会に扱います。 はじめに本シリーズ五巻の構成とその内容の概略を掲げておきます。 1 「パウロによるキリストの福音 Ⅰ」 ガラテヤ書とテサロニケ書Ⅰを資料として、パウロが宣べ伝えたキリストの福音が、福音の母胎であるユダヤ教を克服すると同時に、ユダヤ教を継承しているという面を見ます。 2 「パウロによるキリストの福音 Ⅱ」 コリント書Ⅰによって、福音が異邦人の間に受け入れられるときに生じる諸問題に対してパウロがどのように対処したかを見て、そのことを通してパウロによるキリストの福音の内容を探求します。 3 「パウロによるキリストの福音 Ⅲ」 コリント書Ⅱとフィリピ書およびフィレモン書によって、パウロ最晩年の活動の実際を探り、その時期のパウロの福音宣教の内容を理解することを試みます。 4 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅰ」 5 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅱ」 パウロ書簡の中で最後に書かれ、もっとも体系的にキリストの福音を提示しているローマ書は、「パウロによる福音書」と言えます。このローマ書を講解することによって、「パウロによるキリストの福音」を提示します。Ⅰはローマ書の前半(一~八章)、Ⅱは後半(九~一六章)を扱います。 本シリーズは、パウロ書簡を講解しようとするものではなく、あくまでパウロ書簡を通して、パウロが世界に告知したキリストの福音とは何かを探求しようとするものです。そして、最後にローマ書を講解することで、「パウロによるキリストの福音」をパウロ自身が提示した形で理解することを試みます。 本書はこの「パウロによるキリストの福音」シリーズの第1巻になります。 (本書「まえがき」より)
-
パウロによるキリストの福音 Ⅱ
¥3,000
A5サイズ 390ページ 2004年12月1日発行 本書は、市川喜一著作集の中で、五巻からなる「パウロによるキリストの福音」シリーズの第2巻になります。 このシリーズは、前著「パウロによるキリストの福音Ⅰ」の「まえがき」に書きましたように、パウロ全書簡の注解や講解を目指すものではなく、パウロ書簡の探求を通して、使徒パウロがわれわれに告げ知らせている「キリストの福音」とはどのような内容のものであるのかを追求していこうとするものです。 シリーズの中での本書の位置を示すために、本シリーズの構成と、各巻の内容の概略を掲げておきます。 1 「パウロによるキリストの福音 Ⅰ」 (既刊) ガラテヤ書とテサロニケ第一書簡を資料として、パウロが宣べ伝えたキリストの福音が、福音の母胎であるユダヤ教を克服すると同時に、ユダヤ教を継承しているという面を見ます。 2 「パウロによるキリストの福音 Ⅱ」 (本書) コリント第一書簡によって、福音が異邦人の間に受け入れられるときに生じる諸問題に対してパウロがどのように対処したかを見て、そのことを通してパウロによるキリストの福音の内容を探求します。 3 パウロによるキリストの福音 Ⅲ」 (二〇〇五年四月 刊行予定) コリント第二書簡とフィリピ書およびフィレモン書によって、パウロ最晩年の活動の実際を探り、その時期のパウロの福音宣教の実際とその内容を理解することを試みます。 4 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅰ」 (二〇〇五年八月 刊行予定) 5 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅱ」 (二〇〇五年十二月 刊行予定) パウロ書簡の中で最後に書かれ、もっとも体系的にキリストの福音を提示しているローマ書は、「パウロによる福音書」と言えます。このローマ書を講解することによって、「パウロによるキリストの福音」を提示します。Ⅰはローマ書の前半(一~八章)、Ⅱは後半(九~一六章)を扱います。 パウロ書簡の中ではローマ書がもっとも包括的で体系的ですから、パウロの福音を提示するのにローマ書の講解という形をとる場合が多いようですが、コリント第一書簡も「パウロによるキリストの福音」を探求する上で、ローマ書に劣らず重要です。それは、コリントの集会が直面した問題が多岐多様なため、それに対処するために使徒パウロが提示するキリストの姿も多様であり、具体的な問題に即してキリストが生き生きと詳しく語られているからです。ローマ書では要約された形で簡潔に語られている福音の重要事項も、このコリント第一書簡では詳しく展開されており、この書簡を通してしか分からない福音の内容も多々あります。コリント第一書簡は長さの点でもローマ書と同じほどですが、その重要性においてもローマ書に勝るとも劣ることはありません。本書では、このコリント第一書簡によって「パウロによるキリストの福音」の豊かな内容を探求したいと願っています。(本書「まえがき」より)
-
パウロによるキリストの福音 Ⅲ
¥4,000
A5サイズ 460ページ 2005年4月1日発行 本書は、市川喜一著作集の中で、五巻からなる「パウロによるキリストの福音」シリーズの第3巻になります。 このシリーズは、前著「パウロによるキリストの福音Ⅰ」の「まえがき」に書きましたように、パウロ全書簡の注解や講解を目指すものではなく、パウロ書簡の探求を通して、使徒パウロがわれわれに告げ知らせている「キリストの福音」とはどのような内容のものであるのかを追求していこうとするものです。 シリーズの中での本書の位置を示すために、本シリーズの構成と、各巻の内容の概略を掲げておきます。 1 「パウロによるキリストの福音 Ⅰ」 (既刊) ガラテヤ書とテサロニケ第一書簡を資料として、パウロが宣べ伝えたキリストの福音が、福音の母胎であるユダヤ教を克服すると同時に、ユダヤ教を継承しているという面を見ます。 2 「パウロによるキリストの福音 Ⅱ」 (既刊) コリント第一書簡によって、福音が異邦人の間に受け入れられるときに生じる諸問題に対してパウロがどのように対処したかを見て、そのことを通してパウロによるキリストの福音の内容を探求します。 3 パウロによるキリストの福音 Ⅲ」 (本書) コリント第二書簡とフィリピ書およびフィレモン書によって、パウロ最晩年の活動の実際を探り、その時期のパウロの福音宣教の実際とその内容を理解することを試みます。 4 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅰ」 (二〇〇五年八月 刊行予定) 5 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅱ」 (二〇〇五年十二月 刊行予定) パウロ書簡の中で最後に書かれ、もっとも体系的にキリストの福音を提示しているローマ書は、「パウロによる福音書」と言えます。このローマ書を講解することによって、「パウロによるキリストの福音」を提示します。Ⅰはローマ書の前半(一~八章)、Ⅱは後半(九~一六章)を扱います。 パウロ書簡は、最初のテサロニケ第一書簡を除き、ほとんどがパウロの最後の活動拠点となったエフェソで書かれたか、その直後に書かれています。それで、本書ではまず最初に「第一章 エフェソにおけるパウロ」で、エフェソにおけるパウロの活動をまとめて描き、その後第二章から第六章までで、この時期に書かれた書簡(すでに扱ったガラテヤ書とコリント第一書簡を除く)を用いて、パウロ最晩年の福音の提示を追究します。そのさい、コリント第二書簡やフィリピ書は、もともと数通の手紙が編集によって一つの手紙にまとめられた形跡があるので、元の数通の手紙に分け、それぞれが書かれた状況に置いて理解しようとしています。最後に「第七章 使徒パウロの最後の日々」で、ローマ書執筆以後の使徒パウロの生涯の出来事をたどります。そして、「終章 諸国民への使徒パウロ」で、これまで3巻にわたった本シリーズ「パウロによるキリストの福音」の総括を行います。(本書「まえがき」より)
-
パウロによる福音書 ― ローマ書講解 Ⅰ
¥3,800
A5サイズ 390ページ 2005年8月1日発行 本書は、市川喜一著作集の中で、五巻からなる「パウロによるキリストの福音」シリーズの第4巻になります。 このシリーズは、最初の「パウロによるキリストの福音Ⅰ」の「まえがき」に書きましたように、パウロ全書簡の注解や講解を目指すものではなく、パウロ書簡の探求を通して、使徒パウロがわれわれに告げ知らせている「キリストの福音」とはどのような内容のものであるのかを追求していこうとするものですが、本書と次の第5巻では、パウロ自身がその生涯の最後に文書の形で「キリストの福音」をもっとも包括的かつ体系的に提示する「ローマ書」を残していますので、その「ローマ書」を講解することによって、このシリーズのまとめとします。 シリーズの中での本書の位置を示すために、本シリーズの構成と、各巻の内容の概略を掲げておきます。 1 「パウロによるキリストの福音 Ⅰ」 ガラテヤ書とテサロニケ書第一書簡を資料として、パウロが宣べ伝えたキリストの福音が、福音の母胎であるユダヤ教を克服すると同時に、ユダヤ教を継承しているという面を見ます。 2 「パウロによるキリストの福音 Ⅱ」 コリント第一書簡によって、福音が異邦人の間に受け入れられるときに生じる諸問題に対してパウロがどのように対処したかを見て、そのことを通してパウロによるキリストの福音の内容を探求します。 3 「パウロによるキリストの福音 Ⅲ」 コリント書第二書簡とフィリピ書およびフィレモン書によって、パウロ最晩年の活動の実際を探り、その時期のパウロの福音宣教の実際とその内容を理解することを試みます。 4 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅰ」 5 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅱ」 パウロ書簡の中で最後に書かれ、もっとも体系的にキリストの福音を提示しているローマ書は、「パウロによる福音書」と言えます。このローマ書を講解することによって、「パウロによるキリストの福音」を提示します。Ⅰはローマ書の前半(一~八章)、Ⅱは後半(九~一六章)を扱います。 この構成からも分かるように、本書『パウロによる福音書―ローマ書講解』はそれだけで独立している著作ではなく、「パウロによるキリストの福音」シリーズの一部であり、それまでの「パウロによるキリストの福音」三巻の理解を前提にしています。とくにローマ書執筆の事情については、前著『パウロによるキリストの福音 Ⅲ』の第七章「使徒パウロ最後の日々」第一節「最後のコリント滞在」を参照してください。ローマ書の執筆事情はそこで詳しく扱っていますので、本書では手紙の挨拶の部分の講解という形で簡単にしています。なお、同書の終章「諸国民への使徒パウロ」は、ローマ書への序章(導入部)として役立つと思われますので、その章を読まれた上で「ローマ書講解」に入られるようにお勧めします。(本書「まえがき」より)
-
パウロによる福音書 ― ローマ書講解 Ⅱ
¥3,800
A5サイズ 360ページ 2005年12月1日発行 本書は、市川喜一著作集の中で、五巻からなる「パウロによるキリストの福音」シリーズの第5巻になります。 このシリーズは、最初の「パウロによるキリストの福音Ⅰ」の「まえがき」に書きましたように、パウロ全書簡の注解や講解を目指すものではなく、パウロ書簡の探求を通して、使徒パウロがわれわれに告げ知らせている「キリストの福音」とはどのような内容のものであるのかを追求していこうとするものですが、本書と前の第4巻では、パウロ自身がその生涯の最後に文書の形で「キリストの福音」をもっとも包括的かつ体系的に提示する「ローマ書」を残していますので、その「ローマ書」を講解することによって、このシリーズのまとめとします。 シリーズの中での本書の位置を示すために、本シリーズの構成と、各巻の内容の概略を掲げておきます。 1 「パウロによるキリストの福音 Ⅰ」 ガラテヤ書とテサロニケ書第一書簡を資料として、パウロが宣べ伝えたキリストの福音が、福音の母胎であるユダヤ教を克服すると同時に、ユダヤ教を継承しているという面を見ます。 2 「パウロによるキリストの福音 Ⅱ」 コリント第一書簡によって、福音が異邦人の間に受け入れられるときに生じる諸問題に対してパウロがどのように対処したかを見て、そのことを通してパウロによるキリストの福音の内容を探求します。 3 「パウロによるキリストの福音 Ⅲ」 コリント書第二書簡とフィリピ書およびフィレモン書によって、パウロ最晩年の活動の実際を探り、その時期のパウロの福音宣教の実際とその内容を理解することを試みます。 4 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅰ」 5 「パウロによる福音書―ローマ書講解 Ⅱ」 パウロ書簡の中で最後に書かれ、もっとも体系的にキリストの福音を提示しているローマ書は、「パウロによる福音書」と言えます。このローマ書を講解することによって、「パウロによるキリストの福音」を提示します。Ⅰはローマ書の前半(一~八章)、Ⅱは後半(九~一六章)を扱います。 この構成からも分かるように、本書『パウロによる福音書―ローマ書講解』はそれだけで独立している著作ではなく、「パウロによるキリストの福音」シリーズの一部であり、それまでの「パウロによるキリストの福音」三巻の理解を前提にしています。とくにローマ書執筆の事情については、前著『パウロによるキリストの福音 Ⅲ』の第七章「使徒パウロ最後の日々」第一節「最後のコリント滞在」を参照してください。ローマ書の執筆事情はそこで詳しく扱っていますので、本書では手紙の挨拶の部分の講解という形で簡単にしています。なお、同書の終章「諸国民への使徒パウロ」は、ローマ書への序章(導入部)として役立つと思われますので、その章を読まれた上で「ローマ書講解」に入られるようにお勧めします。(本書「まえがき」より)
-
対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解 Ⅰ
¥4,200
A5サイズ 484ページ 2006年10月1日発行 わたしは学生時代に信仰に入り、聖書を読み始めました。とくに新約聖書は懸命に読みましたが、その中でもヨハネ福音書は感銘深く、何の予備知識もないまま、ギリシア語の原文を大学ノートに筆写しながら、その使信を直接、丸ごと受け取りたいと熱心に読みました。ヨハネ福音書の原文を筆写したのは、そのギリシア語が単純で、初心者にも分かりやすかったからですが、同時にこの福音書の言葉には燃える心に直接深く語りかけるものがあることを感じたからです。 それから五十年、新約聖書時代の最後にそびえる高峰であるこの福音書を、自分の納得できる日本語で読みたいと願い、ギリシア語の専門家でない限界も顧みず、ヨハネ福音書の全文をギリシア語から日本語に翻訳し、問題点は注記して、私訳のヨハネ福音書を完成しました。そして、その私訳を用いた「ヨハネ福音書講解」を、二〇〇三年から個人福音誌『天旅』に連載し始めました。この「ヨハネ福音書講解」はまだ完了していませんが、この福音書の前半(一~一二章)を扱う第一部が本年の初めに完成しましたので、独立伝道五十年の節目のこの年に、まずこの第一部を刊行することにいたしました。福音書後半(一三~二一章)を扱う第二部は、来年に刊行する予定です。 ヨハネ福音書は、他の福音書と同じく、イエスの生涯や働きをも伝えていますが、この福音書の内容の大部分はイエスと周囲の人たちとの対話で成り立っています。ヨハネ福音書の特色は、この対話の部分にあります。ヨハネ福音書は、この対話によって「永遠の命」、「死んでも死なない命」という霊的現実・宗教的真理を世に証言しようとするユニークな文書です。 ところで、プラトンが哲学的な真理を追究し、それを世に伝えるのに「対話編」という形をとったことはよく知られています。ヨハネがどれだけプラトンを知り、また意識していたかは分かりませんが、結果としてヨハネはプラトンと同じ対話編という形で、自分が世に提示しようする福音を書いています。それで、「ヨハネ福音書講解」を『対話編・永遠の命』という標題で刊行することにした次第です。もっとも「対話」と言っても、プラトンとヨハネではずいぶん性格が違います。プラトンの場合は、ある命題に対して反対の命題が立てられ、両者を統合してより高い次元の理解に至るという「ディアレクティーク」が対話の本質ですが、ヨハネの場合、対話はしばしば断絶した二つの世界の主張のぶっつかり合いにとどまっています。イエスが代表されるあちら側の言葉と、わたしたちがとどまっているこちら側の現実との間には、論理で超えることができない深淵が横たわっており、わたしたちがこちら側からイエスがおられる命の領域に移るには「信仰の飛躍」が必要です。このささやかな講解が、この飛躍を可能にし、かなたの命の領域にとどまる助けとなることを願って、本書を世に送ります。(本書「まえがき」より)
-
対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解 Ⅱ
¥3,800
A5サイズ 412ページ 2008年8月1日発行 先に『対話編・永遠の命 ― ヨハネ福音書講解Ⅰ』を刊行して、ヨハネ福音書の前半(一~一二章)を講解しましたが、ここにヨハネ福音書の後半(一三章~二一章)の講解と、ヨハネ文書(ヨハネ福音書とヨハネ書簡)の成立を扱う附論『「もう一人の弟子」の物語』とを合わせて、本書『対話編・永遠の命 ― ヨハネ福音書講解Ⅱ』を刊行します。この附論『「もう一人の弟子」の物語』には、ヨハネ第一書簡の私訳と講解が含まれています。 この『対話編・永遠の命 ― ヨハネ福音書講解』を刊行する趣旨につきましては、先に刊行した前巻の『Ⅰ』の「まえがき」で述べたので繰り返しませんが、信仰に入って五十年来親しんできたヨハネ福音書全体を、ギリシア語原文から訳して、自分の日本語で読み、それをどう受け取っているかを書き記して刊行できたことを、心より主に感謝しています。
-
ルカ福音書講解 Ⅰ
¥3,800
A5サイズ 460ページ 2009年10月1日発行 わたしは『市川喜一著作集』において新約聖書の全文書の講解を志し、これまでにルカ二部作(ルカ福音書と使徒言行録)を除くすべての文書の講解を終え、著作集に入れることができました。同じく「講解」といっても、ギリシア語原文からの翻訳と一節ごとに詳しく講解したものから、段落ごとに簡単な要旨を解説しただけものまで、詳しさの程度は様々ですが、昨年の『対話編・永遠の命 ― ヨハネ福音書講解Ⅱ』の刊行をもって、一応ルカ二部作以外は全文書の講解を完了しました。 ルカ二部作を最後に残したのは、ルカ二部作が新約聖書の諸文書の最後に位置すると見ているからです。成立年代からすれば、ルカ二部作よりも後に書かれた文書があるかもしれません。しかし、最初期のキリスト告知の流れにおいて、新約聖書の主要文書の中でルカ二部作が最後に現れて、その時代の様々な流れを統合し、次の時代に引き渡して行く連結器のような位置にある、とわたしは見ています。 それで、他の新約聖書文書の講解をすべて終えた二〇〇八年から、わたしの個人福音誌『天旅』に「ルカ福音書講解」と使徒言行録を扱う「福音の史的展開」を並行して連載することになり、現在進行中です。その中で「ルカ福音書講解」の方は、三部からなるルカ福音書の第一部が本年六月に完了しましたので、これをまとめて『ルカ福音書講解Ⅰ』として刊行することにしました。ルカ福音書の第二部と第三部は、それぞれ『ルカ福音書講解Ⅱ』と『ルカ福音書講解Ⅲ』として刊行する予定です。全部の完成までには、まだ四年ないし五年はかかることと思います。わたしは一九三〇年生まれの八〇歳直前、立派な「後期高齢者」ですので、いつ何が起こるか分かりません。しかし、このような願い、あるいは志を内に起こしてくださった主が、その限りない恵みで支えてくださることを信じて、まことに遅々とした筆ですが、日々執筆に励んでいます。第二部と第三部の講解はいましばらくお待ちくださるようにお願いします。 ルカ福音書だけでなく、使徒言行録を含むルカ二部作の成立事情を解説する「序論・ルカ二部作の成立」を最初に置いて、ルカ福音書講解への導入(イントロダクション)としました。この序論は、来年から刊行予定の「福音の史的展開」で扱います使徒言行録への導入を兼ねています。それにはこの序論は、重複を避けるため載せない予定ですので、使徒言行録への序論としてもお読みいただきますようにお願いします。 では、このささやかな労作が、読者の皆様の聖書理解と信仰に役立つように、主がお用いくださることを切に祈って、お手元にお届けします。 (本書 「まえがき」 から)
-
ルカ福音書講解 Ⅱ
¥3,800
A5サイズ 433ページ 2011年4月1日発行 わたしは『市川喜一著作集』において新約聖書の全文書の講解を志し、これまでにルカ二部作(ルカ福音書と使徒言行録)を除くすべての文書の講解を終え、著作集に入れることができました。最後に残したルカ二部作も、ルカ福音書の第一部「ガリラヤでの神の国告知」を扱う『ルカ福音書講解Ⅰ』を一昨年に、そして「使徒言行録」とほぼ同じ時期の最初期共同体の歴史とその福音告知の内容を扱う『福音の史的展開Ⅰ』を昨年刊行して著作集に加えることができました。それに続いて今年は、ルカ福音書の第二部「ルカの旅行記」を扱う『ルカ福音書講解Ⅱ』を刊行する運びとなりました。 ルカは基本的にマルコの三部構成に従い、ガリラヤでの「神の国」告知の働き、エルサレムへの旅、エルサレムでの受難と復活という三部でその福音書を構成しています。そして、第一部のガリラヤでの働きと第三部のエルサレムでの受難と復活ではほぼマルコに従って記述を進めていますが、第二部のエルサレムへ向かう旅行記では、大きくマルコから離れ、マルコにはない記事で埋めています。そこでの記事は、「語録資料Q」と呼ばれるマタイと共通のイエスの語録集と、ルカだけが持っているルカの特殊資料が用いられ、ルカの特色がもっともよく現れる区分になっています。「旅行記」といっても旅程に関する叙述はほとんどなく、ルカがマルコの枠を離れて自由に資料を用い、自分の福音理解で記事を構成することができる一種の物語空間となっています。そのためこの第二部「ルカの旅行記」は、ルカの信仰理解の特色がもっともよく表れている興味深い箇所になります。本書では、この区分に見られるルカの信仰と思想の特色に注目し、この最初期後期の最後に現れて、これまでの様々な潮流を統合して次の世代に引き継ごうとしているこの福音書が、どのような方向に向かっているのかを探りたいと願っています。 では、このささやかな労作が、読者の皆様の聖書理解と信仰に役立つように主がお用いくださることを切に祈って、お手元にお届けします。 (本書 「まえがき」 から)
-
ルカ福音書講解 Ⅲ
¥4,000
A5サイズ 516ページ 2013年4月1日発行 わたしは『市川喜一著作集』において新約聖書の全文書の講解を志し、これまでにルカ二部作(ルカ福音書と使徒言行録)を除くすべての文書の講解を終え、著作集に入れることができました。最後に残したルカ二部作も、ルカ福音書の第一部「ガリラヤでの神の国告知」を扱う『ルカ福音書講解Ⅰ』と、福音書の第二部となる「ルカの旅行記」を扱う『ルカ福音書講解Ⅱ』、および使徒言行録と同じ時期を扱う『福音の史的展開Ⅰ』はすでに刊行し、残るは福音書の第三部をなす「エルサレムでの受難と復活」の各章と、最後に回した一~二章の「誕生物語」だけとなっていました。今回、ようやくそれらの各章の講解を完成し、『ルカ福音書講解Ⅲ』として刊行する運びとなりました。これで『ルカ福音書講解』を完了すると共に、(使徒言行録以後の時期を扱う『福音の史的展開Ⅱ』も昨年刊行していますので)『市川喜一著作集』の第一期と第二期の全巻を完了することになります。 ルカは基本的にマルコの三部構成に従い、ガリラヤでの「神の国」告知の働き、エルサレムへの旅、エルサレムでの受難と復活という三部でその福音書を構成しています。そして、第一部のガリラヤでの働きについては、ほぼマルコに従って記述を進めていますが、第二部のエルサレムへ向かう旅行記では、大きくマルコから離れ、マルコにはない記事で埋めています。そこでの記事は、「語録資料Q」と呼ばれるマタイと共通のイエスの語録集と、ルカだけが持っているルカの特殊資料が用いられ、ルカの特色がもっともよく現れる区分になっていました。ところが、エルサレムにおけるイエスの受難と復活を扱う第三部では、大筋では再びマルコの物語の枠組みに戻っています。しかし、マルコの物語を下敷きにして書くのではなく、ルカ独自の資料と視点から物語を構成し、「ルカの受難・復活物語」を伝えています。本書では、そのルカの物語の特質を明らかにすることに重点を置いて講解を進めます。同時に、本書が四福音書講解の最後になりますので、他の福音書とも比較検討して、イエスの出来事の実相やその意義についてまとめる努力もしていくことになります。 なお、先に刊行しました『ルカ福音書講解Ⅰ』の「序論 ルカ二部作の成立」で述べたことは、その刊行後に取り組んだマルキオンとの関連から、一部修正しなければなりません。ルカ福音書の基本的な性格や内容については修正の必要はないと思いますが、その成立の経緯と事情については、昨年刊行した拙著『福音の史的展開Ⅱ』の第八章第一節「ルカ二部作成立の状況と経緯」を見てくださるようにお願いします。わたしはルカ二部作を新約聖書の主要文書の最後に位置づけてきましたが、その最終的な成立をマルキオンとの対決という具体的な歴史的状況において見るようになり、ルカ福音書の成立過程も修正せざるをえません。 では、このささやかな労作が、読者の皆様の聖書理解と信仰に役立つように主がお用いくださることを切に祈って、お手元にお届けします。 (本書 「まえがき」 から)
-
福音の史的展開 Ⅰ
¥4,000
A5サイズ 540ページ 2010年8月1日発行 本書は「福音の史的展開」という標題ですが、はじめに本書の内容と性格について簡単にお断りをしておきます。 福音とは、神が主イエス・キリストの出来事、とくに十字架の死と復活の出来事において、わたしたち人間の救いを成し遂げてくださったという告知であり、またその告知を宣べ伝える活動です。神の救いの出来事は、イエスの生涯だけでなく、それを準備するイスラエル二千年の歴史と、その福音告知の活動が始まってから現在に至る二千年のキリスト教の歴史の中で展開されています。従って、「福音の史的展開」とは、広い意味ではその歴史の全体を含むことになります。しかし、そのような膨大な内容を一個人が、一つの著作で扱うことはできませんので、本書では、イエスの復活後に開始された福音告知の活動の最初期だけを扱います。それは、この時期に福音がもっとも純粋にその姿を現しており、範例的な意義を持っているからです。 ここで「最初期」というのは、イエスの復活後、この福音告知の活動が始まってから、新約聖書に収められている諸文書が成立する期間を指しています。具体的には、新約聖書のもっとも遅い文書の成立がほぼ一世紀末か二世紀初頭であると考えられるので、30年のイエスの十字架と復活からほぼ70年とか80年の期間を指します。この時期を「新約聖書時代」と呼んでよいでしょう。 この「最初期」は、ユダヤ戦争におけるエルサレムの陥落・神殿の崩壊(70年)を境として、前期と後期に分かれます。前期は、ほぼイエスの弟子である使徒たちが活躍した時期であり、使徒時代と呼べるでしょう。後期は、使徒たちの後継者が活動した時期であり、使徒後時代、正確には使徒直後時代ということになります。 ルカもこの時期を代々の《エクレーシア》にとって範例となる時期として「使徒言行録」を書いていますが、ルカは前期しか扱っていません。それも前期のすべてではなく、パウロのローマ到着までです。これは、拙著『ルカ福音書講解Ⅰ』の序論「ルカ二部作の成立」で見ましたように、ルカの著作意図から出たことです。しかし、新約聖書全体がわたしたちの福音理解の基準とされるのであれば、現代のわれわれは新約聖書文書の成立時期全体を扱うべきであると考え、本書では前期だけでなく、後期も含めて「新約聖書時代」を扱うことにします。 前期を扱うさいの資料としては「使徒言行録」があります。しかし、本書は使徒言行録を講解するのではなく、使徒言行録を批判的に検討して資料として用い、この時期の福音運動の実像に迫りたいと願っています。この時期に関しては、パウロ書簡という一次資料もあるので、この一次資料の視点からルカの使徒言行録の記述の意義を理解することも重要な作業になると考えます。したがって、使徒言行録はその全体の講解ではなく、前期の歴史の資料とすると共に、ルカの意図や福音理解(神学)を明らかにするのに有益で必要な形での(部分的な)取り扱いになると思います。 後期については、その歴史を記述した使徒言行録のような著作はありませんので、その時代に成立した文書を資料として、その時期の福音の展開を追わなければなりません。そのさい、新約聖書の多くの文書がこの時期に成立していますので、それを資料として用います。さらに、新約聖書の外にもこの時期に成立した文書がありますので、それも併せて用いて、この時期の福音の史的展開をたどることになります。 福音はキリストの出来事を告知する言葉ですが、その言葉は(パウロが言うように)「信じる者を救いに至らせる神の力」です。そして、その言葉の告知は、一度なされたら文書に書きとどめられて固定され、以後はそれを読んでその内容を信じればよいという性格の言葉ではありません。その言葉は、人から人へ直接語りかける形で伝えられる性格の言葉です。すなわち、その福音の現実に生きる証人から、救いを必要とする周囲の人々に語りかけるという形で伝えられていくとき、そこに働く聖霊の力によって、「救いに至らせる神の力」としての姿を現します。 そうすると、語る人も聴く人もある具体的な歴史的状況に生きる人間ですから、そこで語られる福音にはその歴史的状況の刻印が刻み込まれることになります。周囲のユダヤ教徒のパレスチナ農民に語りかけるイエスの言葉と、ヘレニズム都市の異教徒の市民に語りかけるパウロの言葉は同じではありません。新約聖書には実に様々な異なった歴史的状況においてなされた福音の証言が含まれています。その様々な歴史的状況から生じる表現の違いを貫いて一貫している福音の本質を見極めることができてはじめて、「福音とは何か」という問いに答えたことになります。 これは決して容易な課題ではありません。本書は、この課題に取り組み、「福音とは何か」という問いに答えようとする努力の一つです。この困難な課題に取り組むために複雑な議論を進めなければなりませんが、読者の便宜のため本論の前に、福音とその証言である新約聖書について簡潔にまとめた二つの論稿を序論として置いておきます。序論1の「福音とは何か」は、この問いに対する答えをもっとも簡潔な形にまとめたものであり、本書における福音理解の基本的な視点を述べています。序論2の「新約聖書における多様性と一体性」は、著者の新約聖書理解の基本的な視点を提示しており、また、本書の内容の見取り図になると思います。本論は上巻(Ⅰ)と下巻(Ⅱ)に分かれます。上巻では前期(使徒時代)を扱い、下巻では後期(使徒後時代)を扱うことになります。 「福音とは何か」という問いを追究したこのささやかな努力が、この国の福音の進展のために役立つことを切に願って、本書をお届けします。 (本書「まえがき」より)
-
福音の史的展開 Ⅱ
¥4,000
A5サイズ 730ページ 2012年10月1日発行 本書『福音の史的展開Ⅱ』は、上下二巻からなる『福音の史的展開』の下巻になります。上巻の『福音の史的展開Ⅰ』は一昨年(二〇一〇年)に刊行しましたが、ここに下巻になる本書を刊行して、著作『福音の史的展開』を完結することになります。本書の主旨は、上巻の「まえがき」で述べましたが、この下巻だけを手にされる読者のために、(一部修正して)その要旨を繰り返しておきます。 福音とは、神が主イエス・キリストの出来事、とくに十字架の死と復活の出来事において、わたしたち人間の救いを成し遂げてくださったという告知であり、またその告知を宣べ伝える活動です。神の救いの出来事は、イエスの生涯だけでなく、それを準備するイスラエル二千年の歴史と、その福音告知の活動が始まってから現在に至る二千年のキリスト教の歴史の中で展開されています。従って、「福音の史的展開」とは、広い意味ではその歴史の全体を含むことになります。しかし、そのような膨大な内容を一個人が、一つの著作で扱うことはできませんので、本書では、イエスの復活後に開始された福音告知の活動の最初期だけを扱います。それは、この時期に福音がもっとも純粋にその姿を現しており、範例的な意義を持っているからです。 ここで「最初期」というのは、イエスの復活後、この福音告知の活動が始まってから、新約聖書に収められている諸文書が成立する期間を指しています。具体的には、新約聖書のもっとも遅い文書の成立がほぼ二世紀初頭であると考えられるので、30年のイエスの十字架と復活からほぼ百年の期間を指します。この時期を「新約聖書時代」と呼ぶことにします。 この「最初期」は、ユダヤ戦争におけるエルサレムの陥落・神殿の崩壊(70年)を境として、前期と後期に分かれます。前期(三〇年~七〇年)は、ほぼイエスの弟子である使徒たちが活躍した時期であり、「使徒時代」と呼べるでしょう。後期(七〇年~一三〇年頃)は、使徒たちの後継者が活動した時期であり、「使徒後時代」、正確には「使徒直後時代」ということになります。上巻では前期を扱いました。下巻の本書では後期を扱うことになります。この時期は、四つの福音書をはじめ、(パウロ七書簡以外の)重要な文書が多く生み出されています。四福音書の成立を考えるだけでも、この時期の重要性が分かります。 福音はキリストの出来事を告知する言葉ですが、その言葉は(パウロが言うように)「信じる者を救いに至らせる神の力」です。そして、その言葉の告知は、一度なされたら文書に書きとどめられて固定され、以後はそれを読んでその内容を信じればよいという性格の言葉ではありません。その言葉は、人から人へ直接語りかける形で伝えられる性格の言葉です。すなわち、その福音の現実に生きる証人から、救いを必要とする周囲の人々に語りかけるという形で伝えられていくとき、そこに働く聖霊の力によって、「救いに至らせる神の力」としての姿を現します。そうすると、語る人も聴く人もある具体的な歴史的状況に生きる人間ですから、そこで語られる福音にはその歴史的状況の刻印が刻み込まれることになります。周囲のユダヤ教徒のパレスチナ農民に語りかけるイエスの言葉と、ヘレニズム都市の異教徒の市民に語りかけるパウロの言葉は同じではありません。新約聖書には実に様々な異なった歴史的状況においてなされた福音の証言が含まれています。その様々な歴史的状況から生じる表現の違いを貫いて一貫している福音の本質を見極めることができてはじめて、「福音とは何か」という問いに答えたことになります。本書は、この課題に取り組み、「福音とは何か」という問いに答えようとする努力の一つです。 第五章から第八章までの本論でこの課題に取り組んだ後に、本書は「終章 キリストの福音からキリスト教へ」を置いて、新約聖書時代に地中海世界に広まった福音が、その後の歴史の中で「キリスト教」という宗教になる過程を瞥見し、その「キリスト教」の中で福音が果たすべき課題を考察しています。キリスト教二千年の歴史はあまりにも膨大で、そのすべてを見渡して福音とキリスト教の関係を論じることはできません。新約聖書時代に続く約百年の時代に、キリストの福音がキリスト教という宗教になるさいの原理的な問題がよく出てきていますので、その時期の歴史を素材とし、本論で到達した新約聖書における福音理解の視点から、福音によって現代に生きるキリスト者のキリスト教に対する姿勢を原理的に考察しました。 (本書「まえがき」より)
-
続・聖書百話
¥2,500
A5サイズ 250ページ 2014年11月29日発行 わたしは一九八六年以来、隔月刊の個人福音誌『天旅』を発行してきましたが、二〇〇二年の春に一〇〇号を数えるに至り、一〇〇号を記念し、それまでに『天旅』の巻頭言として書いてきた折々の短い所感文を集めて、『聖書百話』を刊行しました。それを第一巻として、その後『天旅』誌上に発表した福音講話の要約や新約聖書各巻の講解をまとめて次々と刊行し、二〇一二年の『天旅』誌の終刊までに、二〇巻からなる「市川喜一著作集」を完了しました。この著作集完了を一つの節目として、『天旅』誌一〇一号以降終刊までの巻頭言と、終刊以後に書きました短文を集めて百編として、この『続・聖書百話』を刊行する次第です。本書の刊行により、福音講話と新約聖書講解の二〇巻の前後を、『聖書百話』と『続・聖書百話』が取り囲むことになり、「市川喜一著作集」は全二二巻となります。 本書の前半一~四〇編は、『天旅』誌の終刊後、著者のホームページ上に「曙光」という題名で発表した所感短文集です。後半の四一編以降が『天旅』誌の一〇一号以降の巻頭言を集めた部分です(ただし第百編は例外です。これは本書の刊行にあたって最後に書かれたものです)。年代順では後半の『天旅』誌巻頭言集が先ですが、前半の「曙光」短文集は、福音によるキリスト信仰への過程とその基本的内容を、著者の個人的証言を交えて、やや体系的に構成しています。それで、これから聖書を読まれる方には、この部分が先にある方が適切かと考え、先に置きました。 この短文集の百編の執筆は、二〇〇二年から二〇一四年の十数年にまたがり、その間、著者がどうしても今書いておきたいという思いに迫られて書いたものですから、その内容と標題として掲げている聖句に重複があります。それぞれの時期の著者の思いの証言として、お読みいただければ幸いです。 本書の各編は、見開き二頁に収めてあります。読者は本書のどこを開いても、見開きの二頁にひとまとまりの所感文をご覧になることになります。順序は問題ではありません。目次を見て、関心のあるところを随時開かれるのも、本書にふさわしい読み方かもしれません。ただ前半は第一編から順次に読み進められるのも有益かもしれません。 本書の各編が読者の信仰に役立つことを祈りつつ、お手元にお届けします。(本書まえがき)
-
福音と宗教 Ⅰ
¥4,000
A5サイズ 480ページ 2016年10月日発行 わたしは福音を宣べ伝える活動に召されて以来、「福音とは何か」という問題に思いを潜め、実際の独立伝道活動の傍ら、福音の最も基本的な証言である新約聖書の諸書を学んできました。そうしたわたしの福音理解の一端を個人福音誌『天旅』に発表してきましたが、晩年にいたってそれを一書にまとめ、著作として発表することになりました。第一期ではそれまでに書きためてきたローマ書の講解までを、年に数冊のペースで一気に出版し、第二期では年に一冊のペースで出版、二〇一二年の『天旅』誌の終刊をもって、それまでの二十二巻を『市川喜一著作集』として刊行する運びとなりました。最後に書きました「福音の史的展開」の上下二冊は、新約聖書のそれぞれの文書が成立した時代と状況の中で、キリストの福音が現れてくる姿を明らかにし、「福音とは何か」という問いに迫ろうとしたものです。この書は、キリストの福音が宣べ伝えられるようになって約百年の一世紀間の歴史をたどることで、わたしの新約聖書研究をまとめる著作となりました。 その書の「終章 キリストの福音からキリスト教へ」で述べましたように、新約聖書時代に続く約百年、すなわち二世紀の初めから三世紀にかけてのほぼ一世紀に、このキリストの福音がローマ世界に「キリスト教」と呼ばれる新しい宗教をもたらすことになった経緯を述べて、そこに含まれる問題点を指摘し、キリスト教という宗教と福音の間にある緊張関係に注意を促しておきました。本書はその後を承けて、その後の歴史の中でこの緊張関係がどのように展開したかを追って、現代の複雑怪奇な宗教問題の本質とその解決への糸口を探ろうという試みです。この問題はあまりにも大きくて、一個人の著作で扱いきれません。しかし、前著の終章で見たように、宗教の根底にあるもの、宗教の源泉となるもの、そういうもので宗教を相対化することで、諸宗教を貫く人間の霊性の完成を目指すことはできないものか、という思いを抑えることができません。 キリスト教という宗教では、その宗教の根底あるいは源泉となるものは福音です。福音は人間本性を根底から変革する力です。福音はキリスト教を相対化し、キリスト教を常に根底へと変革する力です。福音がキリスト教という宗教を相対化して、その根底に達する力であるならば、他の宗教についてはどうだろか。福音に生きる者は、福音と諸宗教との関係はどのようなものになるのかという問いに向かわざるをえません。本書はこの「福音と宗教」の関係を追求しようする試みです。この試みは、本論で詳しく論じることになりますが、パウロが「福音と律法」という形で問題としたものの現代版だと、わたしは理解しています。膨大な人類の宗教史を、わたしのような一門外漢が扱うのは僭越に過ぎますが、福音に生きる者の一人として、この「福音と宗教」の問題を放置することはできません。あえて私見を述べて、この問題への識者の議論を促す所以です。 今年わたしは八十六歳になります。いつ何が起るか分かりません。このような著作の試みも、「神が許したもうのであれば」という但し書きつきで進めることになります。わたしの著作の第三期は、できるときに出すという形で進めてまいります。本書の第一部はこの年に刊行することができましたが、第二部は何年後になるか分かりません。全体の構想と原稿の大半はできていますので、一年後または二年後には刊行することができて、『市川喜一著作集』に加えることになるように願っています。すでに「天旅」ホームページ上に本書の一つの章として発表しています「宗教の神学」の章は、修正を加えて第二部に入れる予定です。 このささやかな試みが、諸兄姉の思索への一助となり、キリストの福音へのより大きな賛美となることを祈って、お手元に届けます。 本書の各編が読者の信仰に役立つことを祈りつつ、お手元にお届けします。 (本書「まえがき」より)
-
福音と宗教 Ⅱ
¥4,000
A5サイズ 680ページ 2017年10月1日発行 本書『福音と宗教』成立の過程と著作の主旨については、本書の上巻になる『福音と宗教 Ⅰ』の「まえがき」で述べました。そして最後に置いた「第一部への結び」で、上巻の「第一部 諸宗教から福音へ」ではキリスト出現までの紀元前の時代を扱い、下巻の「第二部 福音の場から見た諸宗教」で、キリスト出現以後になる紀元後の時代を扱うことを予告しておきました。今ここに本書下巻となる『福音と宗教Ⅱ』をお届けし、キリストの福音が世界に宣べ伝えられる時代に、福音と諸宗教がどういう関係になるのかを、考察して見たいと思います。 上巻の最後に置いた「第三章 キリストの福音 ー その成立と告知」で、十字架につけられたナザレのイエスを神が復活させてキリストとされたという「キリストの出来事」において、神の救済の働きが成し遂げられたという報知が、地中海地域のローマ帝国世界に告知された歴史を概観し、そのキリストの福音の証言である新約聖書各巻の諸文書が成立した紀元後の一世紀から二世紀初頭までの時代を取り扱いました。それを受けてこの下巻の最初の「第四章 キリスト教史における福音」では、そのキリストの福音を信じた者たちの共同体が形成した教会で行われる宗教活動によって、「キリスト教」と呼ばれる宗教が形成された二世紀以降の歴史を概観し、そのキリスト教の現代に至るまでの歴史において、キリスト教を形成する原動力であった福音がどう関わっているかを論じています。 続く「第五章 宗教の神学」で、大航海時代以来キリスト教諸国もキリスト教文化圏以外の国や地域との交流が始まり、そこで行われているキリスト教以外の諸宗教の事実に触れて、いったい宗教とは何かという反省が起こり、キリスト教文化圏において宗教学という新しい学問が普及した時代を扱います(第一章「宗教とは何か」を参照)。この時代にはキリスト教文化圏の学者や思想家、とくにキリスト教の神学者が、この問いに取り組んで、この問いに対する神学的な考察を深めていきます。第五章はこの問いに取り組んだ代表的なキリスト教神学者の思想を考察して、わたしたちの宗教に対する理解の参考に供します。 「第六章 現代の宗教問題 ー 宗教の多元化と世俗化」では、混沌とした現代世界における宗教の多元化と世俗化から生じる問題を考察して、わたしたちキリスト者の進むべき方向を見定めようとします。そして最後の「終章 働きとしての神」において、福音を信じ、キリストにあって生きる者が「神を信じる」というとき、その神はどのような神であるのか、これまでのキリスト教の信条や教義に縛られることなく、神を語ろうとします。神を語ることが神学ですが、ここでキリスト教という宗教の神学ではなく、キリスト教以前のキリストの福音から出る神学の一つの試みとして読んでいただければ幸いです。 以上、上巻の序章から下巻の終章までが本著『福音と宗教』の本論ですが、本論で十分扱えなかった福音と仏教との関わりについて、「附論 福音と仏教」で取り扱うことにしました。附論とした理由は、私事になりますが、著者の年齢からしますといつ書けなくなるか分かりませんので、とりあえず本論を書き上げて出版できる態勢を完了し、時間が与えられるならば西方のキリスト教と並ぶ東方の世界宗教である仏教を取り上げたいと考え、ネット上では本論終章までを「先行版」として発表しておりました。幸い「福音と仏教」を書き上げる時間が与えられましたので、それを附論として本論に添えて刊行する運びとなりました。「附論 福音と仏教」の主旨は、附論の冒頭に置きました「はじめに ー 附論への序言」と題する節をご覧ください。 (本書「まえがき」より)
-
Christ Outside Christianity
¥2,000
A5サイズ 139ページ 2020年9月1日発行 I was born in Kyoto in 1930. In my youth, I was interested in machinery and received an education in technological engineering. During that time, I began to reflect on the notion of humanity and lifestyle choices, a reflection that lead me to quit my engineering studies and, in 1951, enter Kyoto University Law school. There I joined the Kyoto University English Speaking Society and began to study English in order to access a wider world, one that would extend beyond the physical and cultural frontiers of Japan. In the Society I got acquainted with a friend and, together with him I began to attend evangelical meetings held by Finnish missionary. It was in the course of these meetings that I was first exposed to evangelical sermons and began to read the Bible. The Bible felt very fresh for me, and, while attending these meetings, the concept of Good Tidings was instilled into me. I often heard from missionaries that those who believe in Jesus Christ would be saved and receive the gift of Holy Spirit, a message that I could not take it at face value. But after many months I decided to follow Christ and was baptised in water in 1953. For a rather long time I could not reconcile with the concept of Holy Spirit and eternal life, I could not pray and praise God 'in tongue' as fellow believers around me did. I despaired at my weakness, my decision-making and my lack of faith. However, when I eventually gave in completely to the Lord, I suddenly experienced the Word of the Cross, and was overwhelmed by the love of Christ who died for me. I began enthusiastically praising God 'in tongue'. In 1956 I gave up my secular job and dedicated my life to spreading the words of the Gospel. At first I was supported by an American mission society, but soon I began to feel the need for my own independent evangelical ministry in Japan in order to be free from the restraint of the foreign mission. I detached myself from all foreign support and began an independent and self-supporting evangelical work. I began to read many works written by Kanzo Uchimura. His Biblical commentary illuminated me and provided me with boundless inspiration. He was one of the first evangelists of the Meiji era, at a time when Japan opened itself to foreign nations and welcomed many traditionalist American Missionaries. Kanzo Uchimura was a Bible purist, and was firmly convinced that evangelical work in Japan should be free of any restriction of foreign churches. He dedicated his life to the Gospel of Christ, following after a denomination-free way, something he referred to as "Non-Churchism". His proclamation is that a man can belong only to Christ alone and be saved without belonging to any established churches and without receiving baptism and any other church rites. He taught the Bible to many young students who eventually became leading figures of Japan. Many people responded to his proclamation and, today they form a group that rivals in size a powerful section of Protestantism in Japan. I graduated from the under-graduate law department and began my post graduate course. Simultaneously, my faith lead me to further study of the Bible and the history of Christianity under Prof. Tetsutaro Ariga's tutelage. During that period I also completed elementary courses in Greek and Hebrew, which proved to be important tools for the study of the New Testament, all the while supporting myself through evangelical activities. My life work became the unification of the Pentecostal Confession we received from the Finnish mission and the New Testament Theology of Protestantism that I studied in university and during my fellowship with Non-Churchism leaders. During the course of my evangelical work I began reading the New Testament in its original Greek format to achieve as pure a depth of spiritual understanding as possible. I formed a study group for the original texts of New Testament with my Christian friends. This study group was a great help and stimulation for my New Testament study and the publication of my 24 volumes on New Testament in 2015. All my works can be read in my "Tenryo" home page on the internet. (本書「まえがき」より)
-
宗教の外のキリスト
¥2,000
A5サイズ 139ページ 2020年11月1日発行 はじめに本書の由来について一言お断りしておきます。本書は著者が先に刊行した英文の著作「 CHRIST OUTSIDE CHRISTIANITY (キリスト教の外のキリスト)」の日本語版になります。それは内容は同じですが、英語版の翻訳でなく、日本語に相応しい表現に改めた場合も多くあり、標題も変更しています。著者は六十年あまりの独立伝道活動の後期に、二〇〇二年から新約聖書研究の成果を著作として刊行を始め、二〇一八年に全二四巻の「市川喜一著作集」を刊行するに至りました。またその著作集の全内容をホームページ「天旅」にアップロードしてきました。それは独立伝道の期間中に続けてきた著者の福音証言誌「天旅」の名称を踏襲した名前です。 ところが「市川喜一著作集」は全部で一万ページを超える大部のものとなり、それを読み通すにはかなりの労力が必要です。それで海外に暮らす同信の友人から、周囲の外国人にこの信仰の質をお伝えするために、英語で著作集の内容を要約して書くようにと勧められて、十五の英文の福音講話を書き、それを天旅ホームページに発表してきました。この英文の著作はわたしの福音理解の要約になっていますので、これの日本語版を提供して、日本の同胞に読んでいただくことも必要であり、有益ではないかと考え、その日本語版の刊行を決心した次第です。 そこで天旅ホームページに発表した英文の中から十四を選び、順序を変更し、改訂を加え、それに最後の「キリスト教の外のキリスト」の一講を加えて、日本語版の本書「宗教の外のキリスト」とした次第です。書名も日本の読者を考えて変更しました。著者は今年九十歳になります。その年にこの二冊を刊行することができたことを、主の御支えとして、また同信諸兄姉の祈りの助けとして、心から感謝しています。著作の刊行もこれが最後になるのではないかと思います。この小著を手にされた方が、「市川喜一著作集」や、それをネット上に公開している「天旅ホームページ」をお読みになるきっかけになれば幸いです。 (本書「まえがき」より)
-
ペトロ ー 弟子から使徒へ
¥1,500
A5サイズ 110ページ 2022年6月11日発行 イエスの十字架の年(おそらく三〇年)の過越祭の日から、その年の五旬祭(過越祭から五十日目の祭り)の日に弟子たちがイエス復活の証言を始めるまでの五十日の間に、どのような出来事があったのか、弟子たちはその期間どのような行動をしたのか、福音書と使徒言行録はほとんど何も語っていません。この五十日はイエスの生涯を語る福音書記事の空白の五十日となります。しかしこの五十日が、イエスの十字架死の後のペトロの生涯を決する重要な時期となるのです。その時期にペトロの身に起こった出来事が「第二章 ガリラヤでの復活者の顕現」で語られますが、これが本書の主眼点です。 その前にその体験に至るまでのペトロの歩み、すなわちイエスの弟子としてのペトロの体験が「第一章 イエスの弟子ペトロ」で述べられます。そしてそのガリラヤでの決定的な体験の直後に起こったエルサレムでの聖霊の傾注とペトロの最初の証言が「第三章 エルサレムでの最初の証言」で語られた後、その証言によって形成されたイエスをキリストと信じる者たちの共同体であるエルサレム共同体での、ペトロの使徒としての働きが「第四章 エルサレム共同体での使徒ペトロ」で叙述されます。そして第四章の「むすび 弟子ペトロと使徒ペトロ」で、第二章のガリラヤでの決定的な体験の前の弟子ペトロと、その後の使徒ペトロが対比して語られることになります。 このようにガリラヤの漁師ペトロを、キリストの福音の使徒とされた神の大いなる働きを語る本書が、キリスト信仰に生きる諸兄姉の聖書理解と信仰の励ましなることを願ってお届けします。
-
真理の霊が来るとき
¥1,760
4/6版(127mm×188mm) 152ページ 2022年6月20日発行 今世界に広く行き渡っている聖書は、旧約聖書と新約聖書という二つの部分から成り立っています。旧約聖書というのは、イスラエルの民の聖なる宗教文書で、その民が神との関わりの中で歩んできた歴史の記録であり、おもにその民の言語であるヘブライ語で書かれています。それに対して新約聖書は、今から二千年ほど前にそのイスラエルの民の中に現れ、三十年ほどの短い生涯を十字架上で終えたイエスを、神が復活させて世界の救済者キリストとされたことを信じる民が、その信仰を証言した文書を集めたもので、当時の共通語であったギリシア語で書かれています。 本書「真理の霊が来るとき ー復活者キリストを証言する新約聖書」は、新約聖書が世界に向かって証言し、かつ告知する「復活者キリスト」を、その生涯において体験した現代の一日本人が、その「復活者キリスト」の姿をできる限り簡潔にまとめて、日本語を用いる方々諸氏に伝えようとして書かれた小著です。 著者は若き日にイエス・キリストを告知する福音に接し、初めて聖書を手にした者です。以来半世紀を超える年月にわたって、「福音とは何か」という課題を追求し、そのキリストの福音が与える現実を証言する活動に携わってきました。新約聖書が証言する「復活者キリスト」の現実(リアリティー)は、キリストを告知する福音を信じてキリストに従う者に賜る聖霊によって体験される現実です。その過程で、新約聖書の各文書の講解やその神学の追究に関する著作を発表してきましたが、今般キリスト教団出版局から、その成果を小著にまとめて刊行する運びとなりました。この著作では、おもに復活者キリストと聖霊に焦点を当てながら、新約聖書のテキストをたどることになると思います。 このささやかな著作が、読者のお一人ひとりに神からの祝福となることを祈って、お手元にお届けする次第です。

